渡豪して感じたオーストラリアと日本の教育環境のギャップ

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前回、オーストラリア・シドニーの大学の博士課程に在籍し、言語教育に関する研究を行う小島卓也さんに「言葉の壁を乗り越えるために大切なこと」ついて語っていただきました。今回のテーマは「オーストラリアと日本の教育環境のギャップ」。さて、オーストラリアの教育環境とは、一体どのようなものなのでしょうか?

 

 

「所変われば品変わる」。こんなことわざがありますが、国が違えば、さまざまなモノ・コトが異なります。それは「教育」も例外ではありません。今回は、私が感じた「オーストラリアと日本の教育環境の違い」についてお話します。

 

なお、私の大学や大学院での個人的な経験に基づくため、すべての内容を一般化することはできません。しかし、両国の教育風土や教育方針のエッセンスは、大学以外の教育機関でも見られることでしょう。

オーストラリアの教育の特徴は「自由」と「対話」

まず、オーストラリアの教育の大きな特徴に「自由」が挙げられます。生徒ひとりひとりの振る舞い方や考え方、勉強の仕方などに対する制約があまりありません。渡豪当初、眠気を振り払うために颯爽と教室を立ち去りコーヒーを買いに行ったり、先生の合図を待たずに意見を述べたりする学生を見たり、課題のレポートに関する細かい指示が無かったりして、その“自由さ”に驚くことがありました。

 

それに、自由であるがゆえ、挑戦をしやすい環境にあると思います。ただ、自由だからといって何をしても良いわけではありません。むしろ、互いの自由を尊重するためには相手をよく観察し、思いやる力が求められます。留学生を含め、オーストラリアで勉強をしている人たちは、他人の自由を尊重する姿勢を意識しています。

 

そして、もうひとつのオーストラリアの教育の特徴が「対話」。人と話すことを通して「何かに辿り着こう」「何かを生み出そう」とする姿勢が顕著に見られます。例えば、大学での授業では対話(ディスカッション)が頻繁に行われます。すると、ある言葉が個人によって異なって受け取られていることに気づくことがあり、とても刺激的です。また、対話の中では、具体的な事例に対する自分の意見を言ったり、相手の意見に何かを付け加えてアイデアを発展させたりする機会が豊富にあります。「聴く」「話す」「気づく」「知る」だけでなく、「加える」「生み出す」と、さまざまな要素が対話を通した学びには含まれているのです。

 

私が今でもシドニーを学びや仕事の場としているのも、オーストラリアの「自由」と「対話」に魅了されているからに他なりません。いつも他の地域からオーストラリアに戻ってくると、自分の五感が最大限に稼動し始めるのを感じます。おそらく、自分の身体が無意識のうちに、人と人との対話の波の中に飛び込んでいく準備をしているのでしょう。

日本の教育で重要視されるのは「型」

一方、日本の教育で重要視されるのは「型」。日本の教育では、示された型をきちんと身につけ、それを身につけたことを証明することが大切だと考えられています。

 

例えば、私は「How are you?- I’m fine, thank you, and you?」という型を英語学習の初期段階で身につけました。頭に染み込むまで繰り返し練習したものです。このような型の重視は、就職活動という学生としての最後の試験まで続いたように思います。型は土台であり、土台なくしてその先の成長を望むことはできません。「型を身につける」ことは、勉強において決して無駄ではないのです。

 

また、日本での教育では「個」に特化している印象を受けます。試験では頭の中に蓄えた知識を試すため、個人で取り組む課題が中心であることが多いですよね。そういう背景があるからか、勉強の段階でもイヤフォンをつけて問題集を解いたり、パソコンと向き合ったりする学生を日本のカフェでよく見かけます。

日本とは異なるオーストラリアの教育環境に向いている人は?

では、日本とは異なるオーストラリアの教育環境に向いているのは、どのような人なのでしょうか?私は、次の2点に強い抵抗がない人だと思います。

 

1.いつも「型」が与えられるわけではないこと
2.対話の中で何かを生み出そうとすること

 

はじめのうちは多少の葛藤を伴うかもしれませんが、強く抵抗しなければ徐々に馴染んでくるはずです。日本の「四角四面に型を覚え、場面によって覚えた型を使い分ける学び」に疑問を感じるのであれば、オーストラリアでの学習経験が何か違った視点をもたらしてくれるでしょう。

 

もちろん、オーストラリアと日本、どちらが良いという話ではありません。学びにおいて、「自由」や「対話」と「型」はすべて必要です。同時に、どちらかだけでは不十分とも言えます。

海外で少し違った学び方に挑戦すれば、新しい自分に出会える

かつてないほどのスピードで変化する現代社会では、既存の型を別のケースに当てはめるだけでは対応できない状況がどんどん生まれてきています。私は、この複雑化と多様化が進む世界においては「型を変え、型を生み出し、物事に柔軟に対応できる力」を身につけなければならないのではないかと考えています。

 

日本でもオーストラリアでも学ぶことには事欠きません。しかし、最終的に同じ目標に到達したとしても、プロセスが異なれば、目的地にたどり着いたときの自分は全く別人かもしれないのです。そういった意味で、海外で少し違った学び方に挑戦してみてもおもしろいのではないでしょうか。

 

筆者:小島卓也/日本語教師・大学院生
オーストラリアのシドニーにある大学院の博士課程に在籍し、言語教育に関する研究を行う。同時に、シドニー市内の語学学校で日本語教師として教育実践にも携わる。日本の大学在学中にイギリス、オーストラリアへの留学を経験し、卒業後、シドニーの大学院に進学し現在に至る。

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