創業130年の老舗貿易会社を支える国際派ビジネスマン
創業130年を誇る老舗商社の高田釦貿易株式会社の代表取締役としてボタンや服飾小物の輸出入を手がける国際派ビジネスマンの高田真志さん。大学生時代に体験した2年間のアメリカ留学が、その後の海外進出に大いに役立ったと言います。どのようなことを意識すれば留学経験を仕事に生かすことができるのか、お聞きしました。
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目次
Introduction
高田釦貿易株式会社の創業は明治18年。太政官制度が廃止され、日本初の内閣が誕生した現代政治の幕開けの年でした。
曾祖父の時代から続く貿易会社を継ぐためにアメリカ留学や香港勤務など多くの海外経験を経て4代目社長に就任した高田真志さん。時代に合わせた柔軟な発想力や機を逃さずに素早く動く積極性は、豊富な海外経験から得たものでした。
【Profile】
高田真志さん
創業130年を誇る老舗商社の高田釦貿易株式会社の代表取締役。少数精鋭の少人数経営ながら香港やモンゴルに支社や現地法人を設立し、品質と素材にこだわる老舗貿易会社のスピリットと時代に合わせた柔軟なビジネススタイルを両立する。アメリカのタコマ・コミュニティカレッジへの留学や高校時代に打ち込んだ弓道、小学生時代からずっと続けたボーイスカウト活動など、多彩な経験を生かしつつ曾祖父から続く貿易会社を支える。日本ボーイスカウト兵庫県連盟コミッショナーでもある。
「英語とタイピングは必須」。中学時代に心に刻んだ家業の必須条件
―明治から続く貿易会社を経営されていますが、現在の主な業務内容についてお聞かせください。
弊社は自然素材にこだわったMade in Japanの貝釦(かいぼたん)メーカーとして1885年に曾祖父が開業しました。1930年には海外貿易を開始し、現在は貝釦の他にパールボタン、紳士用の服飾小物のブートニエル、モンゴル製のカシミア商品なども取り扱っています。曾祖父から数えて弊社は私で4代目。円高などの経済問題や国際関係などの貿易の諸問題を乗り越えながら、長い歴史を現代につないでいます。
私は実は次男なのですが、年の離れた兄に「どうしても他にやりたい仕事があるので自分の代わりに会社を継いでほしい」と中学生のころから懇願されていました。「貿易会社を継ぐなら英語とタイピングができなきゃ仕事にならないぞ」と自分自身に言い聞かせていましたね。
―では中学生の頃から会社を継ぐために英語力を磨いていたのですか?
実は、中高生の頃はスポーツばかりでほとんど英語は手つかずで……。高校から弓道を始めたのですが、通っていた学校がスポーツの強豪校だったこともあり、朝から晩までクラブ活動に明け暮れていました。それに小学生からずっとボーイスカウトを続けていて、クラブとボーイスカウトの活動で手一杯だったんです。ちなみに今もボーイスカウトの活動は継続しています。
2年間のアメリカ留学で経営学の準学士号を取得
― 大学ではどのように英語を学ばれたのですか?
本格的に英語を始めたのは留学をしてからです。高校卒業後は日本の大学に進学しましたが、大学3年生のときに2年間ほど休学してアメリカに留学しました。
1年間で英語はTOEFL®テスト500点を超えたので、2年目はシアトル近郊にあるタコマ・コミュニティカレッジでBusiness Administration & Managementの準学士コースに入学しました。
通常、準学士は2年くらいかかります。私の学習したBusiness Administration & Managementコースを修了するには全部で95単位ほど必要でしたが、日本の大学で履修した一般教養の約45単位を認定してもらえました。残りの50単位を取得すれば準学士号がもらえたため、通常の半分の期間でコースを終えられたのです。しかし1年で50単位を取得するのは容易ではなく、通常の昼間コースに加えて市街地で行われる夜間コースにも参加して何とか単位を揃えました。
タコマではディスカッションをする機会が多かったため、実践的なコミュニケーション力が鍛えられました。ネイティブに囲まれると語彙力に圧倒されて会話の波に乗り遅れがちなので、私はとにかくディスカッションで一番に発言するように努めました。
日本ではあまり勉強していなかった私ですが、1年目はESL(English as a second language/第二言語としての英語)に昼間に通いながら夕方からは地域のカルチャースクールでタイピングコースに通ったり、2年目のタコマではネイティブの学生に後れを取らないように経営学の分厚いテキストの予習復習に時間をかけたり、留学期間はかなり頑張りましたよ。
― 留学中を成功に導くための学習の秘訣を教えてください。
留学したばかりの頃は自分から積極的に話すのが苦手でしたが、ESLの先生の「文法のことを考えすぎずにとにかく話して」というアドバイスがきっかけで会話力が上達しました。日本人が英語を話すシーンで黙ってしまいがちなのは、文法の正誤を気にしすぎて会話が途切れてしまうから。例えば、「昨日、東京に行きました」と言うだけなのに「行くって過去形でいいのかな」と悩んで口をつぐんでしまう。でも実際の会話では“I go to Tokyo. ”に“yesterday”を付け加えるだけでもなんとか通じるものです。
また、日本人は抑揚をつけずに一定のトーンで話す傾向があるので、ネイティブになりきって声を1オクターブ上げて話すようにとも言われました。先生に教えられたこの2つのアドバイスのおかげで苦手だった会話が一気に得意になりました。
あとは人のまねをするのもコミュニケーションの良い練習になるかな。ボディランゲージを駆使してネイティブをまねて話すのです。おかげで、単語力や文法がいまひとつでも発音だけはネイティブのように上手いとよく言われました(笑)。
― アメリカ留学中はどのような学生生活を送っていましたか。
中高時代とは打って変わって勉強中心の毎日でしたが、プライベートでは私が長年続けていたボーイスカウトの経験が役立ちました。私を含めて日本人はシャイな人が多いので、新しい環境や人間関係に入っていくことを躊躇しがちですよね。でも、世界各地にあるボーイスカウトの活動内容は万国共通。ホストファミリーにお願いして現地のボーイスカウトを紹介してもらい、現地での活動に参加しました。日本のボーイスカウトのバッジを見せると、「これは何のバッジ?」ととても興味を持ってくれて、国籍や言語の垣根なく自然と打ち解けることができました。
2年間の留学を終えて日本に帰ってからは、身に付けた英語力をキープできるように積極的に英語環境に身を置くようにしました。例えば、日本の大学にもネイティブの先生がいましたから、よく先生とコミュニケーションをとりましたね。自ら進んで行動する姿勢も海外留学で身に付いたように思います。
30代初めに香港支社を設立。世界の服飾ビジネスのハブで腕を磨く
― 大学卒業後はすぐに高田釦貿易株式会社に入社されたのでしょうか?
卒業後すぐは社会勉強も兼ねてアパレル業界の株式会社ダーバンに入社しました。そこで3年ほど働いた頃、父から「仕事が忙しいので、すぐに会社に入ってほしい」と頼まれて家業でもある現在の会社に転職したのです。
順風満帆のように思われるかもしれませんが、入社間もなくの1995年は会社の危機でした。同年1月に阪神大震災、2月には対ドルレートが70円の超円高になり、貿易商社は大きなダメージを受けました。震災で景気が冷え込んだところに円高で海外勢との取引を一気に失い、会社の存続が危ぶまれるほどでした。そこで意を決し、同年の10月に世界の服飾ビジネスのハブだった香港に乗り込むことにしたのです。それまでは会社で父の下働きをしていた私に白羽の矢が立ち、30代の初めに香港で事務所を開設して現地代表になりました。
― 香港ではどんな業務をされていたのですか?また、現地のスタッフなどの職場環境はいかがでしたか?
香港では中国の縫製工場や欧米にある服飾専門商社などを相手に、弊社の貝釦やパールボタンの商談を行いました。当時の香港は世界の服飾ビジネスの中心地。香港で世界各地からの受注を受けて、日本の工場で作った弊社の釦をいろんな国に提供したのです。事務所では香港の現地スタッフを2名雇っていましたが、日本人ともアメリカ人とも違う香港の商習慣や人材育成の難しさには随分と頭を悩ませました。個人差はあるものの、人間関係に関係なく自分の損得で物事を判断する傾向があり、ドライな仕事術に面食らった経験は数知れません。
そんな異なる商習慣の中で何とか結果を出せたのは、留学期間に養った対人スキルや英語力が大きかったと思います。現地スタッフや顧客とは英語ですし、「言うべきことは言わなくては」と、常識や習慣が異なる外国人との取引にきちんと対応できたのも留学経験があったからだと思います。
宗教や文化の違いを知ることが国際的な人間関係を築くポイント
― 香港から帰国された後、日本での業務に何か変化はありましたか?
香港から帰国したのは円高が落ち着いた2000年頃です。その後も国内外の取引を行っていましたが、弊社の提供する商品の品質を落とさずに会社を運営していくには時代のニーズに応える新しい商品が必要でした。
私が2012年に社長に就任してからは、従来のボタンの他に紳士用の服飾小物を商品に加えました。2016年には独自ブランドのPINCTADAを立ち上げて、天然の貝素材を使ったブートニエルやカシミア商品を取り扱うようになりました。同年にカシミアの輸入元のモンゴルにも現地会社を設立。最近はビジネススタイルでもスーツ以外のセットアップを楽しむおしゃれな男性が増えましたから、天然素材を使った弊社の高級小物が国内外で受け入れられています。
― 高田さんのように留学経験を仕事に生かすには、どういう点に気をつければ良いでしょうか?
留学した日本人が陥りやすいのが、現地のコミュニティーに飛び込むことができずに留学先でも日本人同士で固まってしまうこと。限られた留学期間を有益に過ごすためにも、放課後のフリータイムは現地の人と過ごしましょう。将来、国際的な分野で活躍するときも海外の人と人間関係を築いた経験はきっと役立ちます。
また、現地では宗教観が違います。留学時代に「宗教は何だ?」とよく聞かれ、私自身は特に信仰はないのですが「仏教」と答えていました。欧米では明確な宗教を持っているのが当然。仕事でもプライベートでも、相手の宗教観を念頭に入れた上で相手の態度や習慣を理解することが大切です。
例えば、日本人の個人主義が利己主義に陥りがちなのは、国民性ではなく欧米とは宗教観が違うからなのではないかと思います。欧米人には神との契約の元に生きるという考えがあり、その上で個人主義が成り立っています。国や宗教による違いを知れたことは、私の仕事やボーイスカウトの活動でも生かされていると思いますね。
海外で得た語学力と国際感覚を武器にMade in Japanの素晴らしさを世界に
「100年以上続いた会社を終わらせるわけにはいかない」と、父から家業を受け継いだ高田さん。大学を休学して臨んだ2年間のアメリカ留学で得たものは貿易商社に必要な英語力だけではなく、文化や宗教の違いを越えた対人スキルや新しい環境に物おじせずに突き進む積極性など、日本ではなかなか習得しがたい国際感覚でした。海外経験で身に付けたスキルは当初の目標の「英語力とタイピング」をはるかに凌駕し、新商品の開発や国内外の顧客開拓など貿易会社のさらなる発展のために生かされています。
老舗の伝統を守りながら新しい環境に立ち向かう高田さんは、これからもMade in Japanの確かな品質を国内外でアピールし続けてくれることでしょう。
【取材協力】
高田釦貿易株式会社
筆者:林カオリ/ライター・エディター
関西を拠点に活躍するライター・エディター(クリエイティブオフィスこゆうじん代表)。知的財産管理技能士。日本にてコピーライター、編集者、ライターを経験した後、15年間オーストラリアに在住。シドニーでは日豪両国の各種媒体に執筆を行う傍ら、2児の海外出産と子育てを経験する。海外の実体験に基づくライフスタイル、旅行、教育、留学関連記事が得意。
合格率約80%の実績!
日米英語学院の人気の英検®対策コース