国際派のママさんヘアスタイリストが実践する自由な働き方とバイリンガル子育て

2018.12.18旅行・留学
Summary あらすじ

オーストラリアと日本の両国で活躍するヘアスタイリストであり、日豪ハーフの子育てに奮闘する一児の母でもあるリン悦子さん。日本の技術を海外で生かす方法やオーストラリアのバイリンガル教育など、悦子さんのライフスタイルには気負わず自然に国際的な生活を楽しむ秘訣が満載です。

都市部のいたるところで外国語が耳に入り、食べ物や文化がますます多様化する日本。「海外でキャリアアップする」「子どもをバイリンガルに育てる」という夢も現実的な人生設計のひとつになりつつあります。

 

人気のヘアスタイリストとしてオーストラリアで活躍するリン悦子さんは、10歳の息子を毎年日本に短期留学させるなどバイリンガル教育にも積極的な国際派ママ。気になる海外でのキャリア形成術とバイリンガル子育てについてお聞きしました。

 

Profile

リン悦子(Etsuko Lynn)さん

著名人が多数通う人気のビューティサロン「Shower」の店長として活躍した後、オーストラリア人の夫とともに2002年よりシドニーに移住。日本の最新ヘア技術を提供する実力派として現地のサロンで人気を博す。毎年数回の帰国時には日本でもヘアスタイリストとして活動。プライベートではオーストラリア人の夫と日豪ハーフの息子をこよなく愛する良きママ。小学生の息子の日本語・英語のバイリンガル教育にも熱心に取り組んでいる。

ヘアメイクとして多忙を極めた日本を離れ、夫の大学院入学のために渡豪を決意

 

日豪両国でヘアスタイリストとして活躍されていますが、現在のお仕事について教えてください。

 

今はオーストラリアにあるイタリア系のビューティサロンでフリーランスのヘアスタイリストとして働いています。仕事のベースは主にシドニーですが、年に数回は日本に帰国して大阪の心斎橋にあるビューティサロン「Shower」でも活動しています。

 

Showerは渡豪する直前まで私が店長をしていたお店で、ヘアやメイクの他、ウェディング、エステティックなど総合的な美容を取り扱うサロンです。雑誌やTV撮影のヘアメイク実績も高いので、一般のお客さまはもちろん、女優やモデルといった著名人にもご愛用いただいています。最新技術を持つ日本のサロンで定期的に仕事をしたり、美容の勉強会や講習会に参加したりすることがオーストラリアでのヘアスタイリストの仕事にもとても役立っています。

 

人気サロンの店長を辞してまで、どうして渡豪することにしたのでしょうか?

 

オーストラリアに渡ったのは2002年のことです。突然、日本の外資系企業に勤めていたオーストラリア人の夫が「シドニーの大学で修士コースを履修したい」と言い出しまして。夫の大学復帰を応援するために一緒に渡豪することを決めました。オーストラリアには勉強をしたければ年齢に関係なく大学に戻れる環境があり、キャリアチェンジや上位の学位を取るために勉強し直すことは珍しいことではありません。

 

その頃は、サロンが休みの日もメディア撮影のヘアメイクなどで忙しくしていたので、私も少し疲れていたんでしょうね(笑)。主人の希望を聞いてすんなりOKしてしまいました。ただ、日本で長年お世話になり、真摯に働いてきたShowerともそれで決別するつもりはありませんでした。実際、渡豪して15年以上たった今も、帰国時にはサロンで仕事をさせてもらっています。フリーランスですから国や場所を問わず、スキルさえあればどこでも活躍できるのです。

日本の技術と経験が生かせるサロンでオーストラリアでのキャリアがスタート

 

現地のビューティサロンで働き始めたのはいつ頃からでしょうか?

 

渡豪して半年もしないうちからシドニーのニュートラルベイという街にある現地のサロンで働き始めました。オーストラリアで有名なヘアメイクさんがそこで働いていると聞き、今までのキャリアを生かせる絶好の場所だと思ったのです。ポートフォリオと履歴書を握りしめ、いきなりサロンを訪問しました。

 

当時は英語がそれほどうまく話せなかったこともあり、「海外で働くのは初めてなので、シャンプーマンでもアシスタントでもいいから、サロンに置いて勉強させてください」と頼み込みました。「英語はあまり話せないけれどもエツコの技術と経験は本物だから」と、夫にも援護射撃をしてもらって(笑)。熱意が通じたのでしょうか、そのサロンのオーナーが「それなら私のお店を自由に使って、自分のお客さまを施術していいわよ」と。これが私のフリーランス活動の始まりとなりました。

 

海外でいきなりフリーランスとして活動するのは、かなり大変だったのでは?

 

渡豪直後には自分のお客さんはいませんでしたから、フリーランスといっても初めは他のスタッフの手伝いをしたり、サロンで日本の技術を紹介したりしていました。当時は日本の縮毛矯正がオーストラリアに導入されたばかりで、10万円ほどの高額料金で未熟な縮毛技術を提供しているお店も周りにたくさんあったりして……。そこで、信頼できる薬剤を自分で取り寄せて日本の技術を適正価格で提供し始めると、それが話題になってお客さまが一気に増えたんです。ヘアの薬剤や化学反応の話などを英語で説明するのはなかなか難しかったのですが、スタッフやお客さまとの交流の中で私の英語もかなり上達したと思います。

 

お子さんが生まれた後も変わらず活躍をされていますね。出産後はどのように仕事を調節されたのですか?

 

息子を出産して3か月ぐらいで、まずは週2日だけ職場に復帰しました。出勤日のうちの1日はベビーシッター、もう1日は夫に育児をお願いして。夫は息子と過ごす日をとても楽しみにしてくれましたので、私も気兼ねなく働けました。息子の成長とともに私も稼働日を増やしましたが、「この曜日は午後2時まで」など今でも息子の習い事や学校の予定に合わせて就業スタイルを変えています。フリーランスの特権ですね。

 

バイリンガル教育はシドニーでも必須。息子は7歳から日本短期留学を開始

 

息子さんが日本語を学ぶために、毎年、日本の公立小学校に短期留学をしているとお聞きしました。

 

息子が小学2年生のときから、私の母校の小学校に毎年数週間ほどお世話になっています。

日本の小学校に通うと、どこか外国人っぽい息子の日本語がみるみる自然な言葉に変わっていくから驚きです。子どもの吸収力は本当に凄いですね。息子がお世話になっている日本の小学校は1学年1クラスのみの小さな学校で、毎年同じ面々が息子を迎えてくれます。あまり外国人と触れ合ったことがないような素朴な子どもたちが、息子を大歓迎して親切に面倒を見てくれるのは嬉しい限り。息子が通っているオーストラリアの小学校はアカデミック色の強いマンモス校ですが、まったく雰囲気の異なる日本の留学先にもうまく適応しているらしく、日本の学校生活を心から楽しんでくれているようです。

 

―― 英語が母国語のオーストラリアで、どのようにバイリンガル教育を行っていますか?

 

我が家ではシドニーの日本語補習校に通わせたり日本に関連のある習い事をさせたりして、息子が日本の言語や文化に触れ合える機会をなるべく作るようにしています。日本のスポーツやカルチャーに興味を持てば言葉にも自然に興味が湧きますから。好きな習い事を日本語で学ばせるのも有効です。息子はサッカーを日本語で習っていますよ。

 

多民族主義のオーストラリアにはドイツ系や中国系、イタリア系などさまざまなルーツを持つ人たちが暮らしています。そのような環境なので多国語を話す人がとても多いのです。父がドイツで母がイタリアといったように両親ともに英語圏以外のルーツを持っている場合は3か国語を話せることも。母国語以外の言語を話せることはオーストラリアでも強みになりますから、英語だけでなく日本語をきちんと身に付けることは息子の将来のために必要だと考えています。今後は、息子のバイリンガル教育に合わせて、私ももっと日本での仕事の幅を広げていきたいと思っています。日本とオーストラリアの二つの国でより自由に生活できるようにがんばります。

気負わないけど手も抜かない。国際的な活躍の秘訣は適応力と柔軟力

 

オーストラリアと日本を活動的に動き回り、お子さんのバイリンガル教育にも積極的に取り組む悦子さん。「日本だから」「オーストラリアだから」と気負うことなく、今ある環境を最大限に生かした柔軟性のあるライフスタイルが印象的でした。

 

二つの国の良いところを上手に生活に取り入れる生き方は息子さんにもきちんと受け継がれ、自分の中に流れる日本人としてのルーツを前向きに楽しんでいるようです。「気負わずにいつもの調子で。でも精一杯やってみる」。悦子さんの仕事術やバイリンガル教育は、国際派を目指す日本の働くママの良い参考になりそうですね。

 

【取材協力】

Hair Make shower

https://www.hairmake-shower.co.jp/

 

筆者:林カオリ/ライター・エディター

関西を拠点に活躍するライター・エディター(クリエイティブオフィスCOUJIN代表)。知的財産管理技能士。日本にてコピーライター、編集者、ライターを経験した後、15年間オーストラリアに在住。シドニーでは日豪両国の各種媒体に執筆を行う傍ら、2児の海外出産と子育てを経験する。海外の実体験に基づくライフスタイル、旅行、教育、留学関連記事が得意。

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